| Rubin Lacy Rube Lacy Ruben L. Lacy Reuben Lacey Rev. Rubin Lacy | まずはいきなりですが、彼の墓碑銘を⋯ IN MEMORY OF REV. RUBEN L. LACY SINGER OF THE GOSPEL BLUES そう。聖職者として生涯を終えているんですねえ。 彼は 1901 年 1 月 2 日、Mississippi 州 Rankin County の Pelahatchie で 13 人兄弟の 4 番目として生まれました。 父親は消防士だったようですが彼が 10 歳の時に亡くなっています。 それから 5 年間学校に通い、ニューヨークから来た叔父にドイツ語を学び、かなり滑らかに話せるようになっていたそうです。その叔父からは歴史や世界情勢についても学んだそうで⋯ もともと彼は「ちょっと」変わった子供と見られていたようで、将来宗教者になる運命だったようですが(祖父が牧師だった)、家庭の中では音楽、それも主に教会音楽が、声楽と器楽(ハーモニカ、ギター)の両方で身近にあったことが基本にあったのでしょう。 そんななか、彼にインスピレーションを与えたのは、プロのミュージシャンだった George "Crow Jane" Hendrix だったようです。彼はまず「素晴らしい声」の持ち主であっただけでなく、Pelahatchie でストリングス・バンドを率いていたマルチ・プレイヤーでもありました。 George "Crow Jane" Hendrix は当時ブルースを演奏しており、ギターを演奏するときは、ボトルネックを使った演奏もしていたようです。 おそらくその影響下で音楽に親しみ始めたせいか、当時としてはかなり秀でた演奏者であり、かつシンガーであったのではないでしょうか。 おそらく Teneessee の Jackson 周辺やデルタ一帯では目立つ存在だったようで、まず 1927-12-09, Teneessee 州 Memphis で Columbia に録音⋯ > 145347-2 : Black Dog Blues : Columbia unissued 145348-3 : Long Lonesome Blues : Columbia unissued 145349-2 : Railroad Blues : Columbia unissued 145350-2 : Red River Blues : Columbia unissued Rubin Lacey, voc, & g, ⋯とまあ、見てのとおり、発売されることなく終わっております。 そしてその翌年、1928 年の 3 月、Chicago の Lamar Life Insurance Building で Paraount に録音したのが 20419-2 : Mississippi Jail House Groan : Paramount 12629-A 20420-3 : Ham Hound Crave : Paramount 12629-B Rube Lacy voc. & g, でした。 こちらは目出度くリリースされ俗界における唯一のレコード・デビューとなったのでございました。一説ではこの二曲には前述の George "Crow Jane" Hendrix からの影響が窺える⋯ゆう記述にも出会っておりますが、その George "Crow Jane" Hendrix の音源が存在していない以上、1930 年代あたりの印象だったのかおしれませんね。 ただ、レコードのリリースとゆう商業的な意味の名声は得られなかったようですが、1920 年代の彼はストリート・ブルースマン(?)たちにとっては大きなプレゼンスを持っていたようで、彼の周辺には Charlie McCoy、Walter Vinson ( Vinscon / Vincent )、Tommy Johnson、 Ishmon ( Ishman ) Bracey、Son House、Tommy McClennan.などの交流チャンネルが形成されていた、とする記載もありました。 ただし、レコードの売り上げ、とゆう商業的な意味合いでの「成功」はしていなかった(あ、してたとしても儲かるのはレコード会社だけ、ブルースマンには「吹き込み」に対するメチャメチャ安い対価が渡されただけで、それが「どんなに売れようと」そのロイタリティが支払われることは「ありえなかった」)彼は農園の仕事をしたり、鉄道のフィールドで貨車の切り離しや接続替えを担当するブレーキマンとして働いたりしていたようなのですが、1932 年、彼のすぐ横を通過していく列車のブレーキ・シュー が脱落して彼を直撃し、重傷を負ってしまいました。 瀕死の状態になった彼は、専業牧師になることを決意し、ギターを続けるように頼まれた(彼の言葉を借りれば「懇願された」)にもかかわらず、彼は「ただ辞めて」ギターを手放しました。 彼はその地域やアーカンソー州のいくつかのミッション・バプテスト教会で説教を始める⋯ それ以前に Mississippi 州の Moorhead の街頭でブルースを演奏していたとき、ちょっとしたエピソードがあったらしい⋯ 「そこに座ってブルースを弾いていたとき、二人の大きな牧師が近づいてきて、膝の上にお金を放り投げてくれました。『もう一度弾いてみろ』と言われました。ブルースも弾いてみたんです。すると牧師たちは、『もし君の声があれば、山を動かせる』と言いました。それ以来、私はその同じ声で山を動かせるほどの力を持ってきました。多くの人を説得し、改宗させてきたのです。」 とゆうワケで、かつては「 Blues King とまで言われた(本人談)」Rubin Lacy も音楽シーンから消えていった⋯と言いたいとこですが ルーベン・レイシーは牧師になってもブルースでのキャリアを隠そうとはしなかったどころか、むしろそれを誇りに思い続けた。 イシュマン・ブレイシーといった他のブルース奏者とは異なり、彼はブルース時代を忘れ去るべきものとは考えていなかった。 ブルースに自分が大きく貢献したことを深く認識していたのだ。 彼はブルースを教会の歌のように人々の心に訴えかける手段と捉えていた。「彼は宗教をより崇高な使命と捉えており、ダンスフロアではなく教会で多くの人々を幸せにしたことで最も記憶に残ることを願っていたに違いないのだ。ー by David Evans ( ハーバード大学で学士号、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で修士号、博士号を取得しており、音楽学校で民族音楽学/地域研究博士課程を指導している。アメリカのフォークミュージックとポピュラーミュージック、特にブルース、スピリチュアル、ゴスペル、アフリカ系アメリカ人フォークミュージックの専門家) 1966 年 2 月15日、彼はゴスペルを録音しています。 Sorrow Come Pass Me Around (A Survey Of Rural Black Religious Music) : Advent2805 というオムニバスに収録された曲 “Talk About A Child That Do Love Jesus” 1942 年の徴兵カードの記載によれば⋯ 彼自身の署名では(ミドル・ネーム無しの)Reuben Lacey 住所としては "6 miles west of Madison, Mississippi” 郵便の指定アドレスとして R3, Box 83A, Jackson, Mississippi. 雇用主 : Walter Payton 配偶者 : Bunia Mae Lacey ( 子供六人 ) 彼が死亡したのは California 州 Corcoran で、1966 年 2 月15日のことでした。 |
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